大熊ワタル気まぐれ日記:2008-06-24


2008年06月24日(火)慰霊の日・雑感

 慰霊の日が来ると思い出すことがある。小平霊園の添田啞蝉坊の墓に時々お参りに行くのだが、啞蝉坊の墓のお隣が沖縄の方のお墓なのだ。あるとき、何気なくそちらの墓誌に目が行って、さっと冷や汗が出た。幼児からお年寄りまで、何人もの一族の方が、同じ日に亡くなっているのだ。そう、もちろん、それは1945年6月のある日付である。

 ところで、沖縄といえば、実は沖縄返還にまつわる日米交渉の副産物であった日本の繊維不況は、わが家をも直撃したのであった。当時日米摩擦の焦点だった人絹製造の部分的廃止が沖縄返還の条件となったのだ。繊維メーカーの工場の現場管理職だった親父は、担当していた製造部門が消滅し、本社事務職へ転換。工場の主力部門で、部下も800人いたというが、全員が配置転換か、転職を余儀なくされた。
 各地を転々とした僕の故郷喪失の歴史は、沖縄とリンクしていたのだった。そんなことを再認識したのは、5月に祖母の葬儀があって家
族史を振り返る機会があったことに加え、ネグリの「マルティチュード」の一節、フォード・テーラーシステム〜ポスト・フォーディズムの転換が、1970年前後だったとの記述が目に入った…、いやストンと実にクリアに、頭に入ってきたのだ。
 そうか、わが家族の遍歴は、日米関係と産業史の掛け合わさった歴史のギヤチェンジを食らった、まさにその実例だったのか、と納得。
 「ディアスポラ」なんておこがましくて例えにもできないが、弾き飛ばされた感は確かにある。沖縄とともに必ず借りは返す決意。

[link:45] 2008年06月25日(水) 15:54