大熊ワタル気まぐれ日記


2006年01月10日(火)デレク・ベイリー追悼

 思えば、初めて参加したバンド「絶対零度」の悪友から、あなたの話を聞かされ、その演奏(レコード)を聴く前から、これこそ自分の求めていたものと確信した19歳の日々が、その後の自分の原点のひとつといえるかもしれません。
 MMD計画で初めて目の当たりにした、あなたの演奏ぶりはたしかに徹底的に自発的で非妥協的なものでした。無駄なく、そぎおとされたような潔い音。かと思えば、演奏途中で急に楽屋に引っ込むやいなや、椅子を次々にステージに投げ込みだす。当時すでにいいおじさんだったデレクですが、あのやんちゃな暴れん坊ぶりが今でも忘れられません。
 そしてそれから約10年後、白州のカンパニー・ジャパンであなたと共演できたことは、忘れ得ない思い出です。もっと間近で聴くことのできた、そのサウンドは何とクリアでつよい音だったでしょう。年もとり、病気がち。そんな事情は演奏には全く無縁でしたね。一見ランダムな演奏のスタイルは一貫していたと思いますが、そのサウンドは一音一音、つねに光り輝いていました。反復のないスタイルで、ひとつの無駄な音もない。それは本当に驚異でした。
 最近は、一音一音、どれだけ気持ちよく音が出せるか、ということを意識するようにしていますが、不思議にしょっちゅうデレクのことを思い出していたのです。これからもそうだと思います。
 本当にありがとう。そしてお疲れさまでした。

[link:21] 2006年01月12日(木) 07:55


2006年01月12日(木)去年の仕事を振り返る

 ずいぶん日誌をさぼってしまった。適宜、事後的にメモは残しておこうと思うのだが。
 書けない理由のひとつだった、遅れに遅れた懸案の原稿(岩波の「世界音楽の本」関係)は、年末に何とか提出したのだが、一度切れたリズムはなかなか戻せない。
何にせよ、結局あれこれ忙しい一年だった。
 鏡開きも過ぎて、ようやく去年のライブを数えてみた。去年は、少し少なめにして、いろいろ仕込みに充てようと思っていたが、結局、最近のアベレージに近い58本だった。年末の台湾など、後半にライブが駆け込みで増えたのだ。

●58本を名目別に振り返ってみると、
・シカラムータ      7本
・ジンタらムータ     7本
・モノノケサミット      5本
・趙博関係         5本
・ふちがみとふなと関係 4本
・千野秀一さんとデュオ 4本
・アノン            4本
・ベツニナンモクレズマー2本
・高田演芸宣伝社    2本
・キャラバンテント     2本
・佐藤芳明氏とデュオ  2本
・清水一登(アレポス)  1本
・登敬三氏とデュオ   1本
 …などとなっている。シカラムータも今年につながる流れができたように思う。他のライブもFFQはもちろん、千野さんとのツアーや、河村博司・みわぞうとのトリオで臨んだ広島のヒロシマ平和映画祭、ジンタらムータの台湾・美濃など、充実したライブがたくさんできたのはよかった。感謝!
 あと、トークも2本あった。東経大を入れると3本か。
 12月のレイバーフェスタで試みた「レイバーDJ」(DeMusik inter.名義)はなかなか好評だった。DJ&トークはしばらくやってなかったけど、可能性ありだ。

●ちなみに録音は少なく、
・2月の中山千夏さん(おんなぐみ)テーマソング
・9月のモノノケサミット新録 …の2件のみ。
 中山さんのは、彼女たちの相互扶助的結社?のテーマソング(作曲は小室等さん)で、入会者のみゲットできる。ラジオ歌謡っぽい趣向で、楽しい仕上がりになったので、一般人も聞ける機会があるといいと思うのだが…。
 モノノケのは、ヒデ坊が宜野湾住民になった関係などで、沖縄での作業。北谷のリンケンスタジオで数日カンヅメになって録った。いつもながらソウルフラワーの録音は大変だ。リハも含めて1週間沖縄にいながら、メシと作業以外ほとんど出歩かず。ドーナルと再会できてよかった。

●その分?原稿はやや復活傾向か。
・東京人
・ミュージックマガジン 2回
・イマージュ連載(「態変」機関紙)2回
・CDライナー(F・ロンドン「KLEZMER BRASS ALLSATARS」CARNIVAL CONSPIRACY)…など。
 東京人は編集のK君の肝いりで、チンドンのおかみさんに焦点をあてた記事で、結構大仕事っぽかったが、思ったほどの反響はなかった。その後K君も社運(というより編集の傾向)を見限り、フリーに転じた。もう当分、東京人の仕事は(し)ないだろうな。
 おっと忘れていたが、「音の力」はストリート占拠編を上梓し、その勢いで「沖縄アジア編」も年内フィニッシュ! のはずだったが、やはりこちらはまだ延びている。それにしても、まあがんばったほうかも。出来上がりが楽しみだ。

[link:20] 2006年01月12日(木) 08:01


2006年01月18日(水)たくさん路上で演奏して楽しかった!が…。

 下北沢再開発計画の強行へ異議を唱えるイベント&街頭パレードに参加した。
僕のコーナーはみわぞうと服部君に手伝ってもらったが、志田君のほかに参加予定だった曽我部氏がNGに。その関係で、記者会見場・シェルターでのミニライブは志田君と半々で、下北駅頭ではほとんど僕らの演奏となった。誘われた時は、サポーターとして一人ででも駆けつければ可、程度の考えだったが、単独でもなんとか成り立つトリオ編成にしておいて助かった。
 志田君のチームはなかなかにぎやかな大所帯。彼の入魂の曲「アモーレ下北」などを全員でセッションし、なかなかの盛り上がりとなった。
 パレードは心配したほど寒くはなく、1時間を超えた最後はちょっと疲れたが、なかなか楽しいデモだった。
 しかし! 肝心の区長は姿を現さず、要望書の直接の提出ならず、代表の大木さんや平野さんたちも失望を隠せなかった。のらくらとかわして逃げ切る腹だろうが、その手に乗るか!こちらの代表と区役所幹部との交渉の小1時間ほど、区役所のエントランスホールを一般区民の邪魔にならない範囲で、一時的占拠に近い形で待機し、なかなか面白くなりそうな雰囲気だったのだが、残念!
 こうして、途中までは楽しかったアクションだが、結局、目に見える収穫がなく、何となく煮え切らない最後になったが、一定の圧力にはなったはず。とにかく出直してリベンジするしかない。

 家に帰ったら、ベルリンの17ヒッピーズのメンバーからメールが来ていた。2月アタマに某著名・一人芝居俳優のゲストとして急遽来日することになったそうだ。初来日だろう。彼らとは、4年前、モノノケのフランスツアー先・ノルマンディの田舎町でのフェスで出会った。前夜祭か本番のあとだったか、余興の合同セッションで一緒に演奏したのだが、先方のメンバーとクラリネットバトルをしたり、なかなか楽しい夜だった。今回のメールをくれたのは、そのクラリネット奏者で、向こうもあの晩のことをよく覚えてくれていたようだ。

[link:22] 2006年02月03日(金) 04:26


2006年01月19日(木)アタタタタタ、痛っ

みわぞう選手は、きのうの寒中チンドン行進で肩が張り、頭痛がひどい。
 心配したほどではなかったにせよ、寒くはあったし、一時間半、休みなしで頑張ってくれたから、しょうがない。
かくいう自分も体のほうぼうが張っている。
デモはいい感じだったが、最後に区長に逃げられ、みんな徒労感・くやしさが残っただろう。こいつは倍返しにしなくちゃ!
起きてたまたまつけたTBSの番組「きょう発プラス」で、兵庫県警の体質の問題を取り上げていた。浦中君の事件以外にもひどい事例がいろいろある。
本当にダメな県警だ。浦中君のことも、一緒に取り上げてくれていた。ひとりで裁判をたたかっている病身のお母さんのことが気になっていたので、ちょっとうれしかった。
しかし、時間の経過でどんどん世間の関心は薄くなる。事件後しばらくフォローしていた神戸新聞も、記事の堆積をやめてしまっている。一方、面子で動いている県警は、お母さんに消耗戦を強いて、最高裁まで争っている。気を抜かずに、僕も発信していかなければならない。

[link:23] 2006年01月19日(木) 14:09


2006年01月20日(金)浦中君、やっとだね!

 浦中君のことを書いたら、その日に最高裁で上告棄却の決定が出たとのこと。つまりお母さんが勝ったのだ。
お母さん宅にご挨拶に伺ってからもう一年たつし、そるそろどうにかならないものかと気になっていたのだが、その日のうちにドンぴしゃの結果で、びっくり。
 友人からの報告の電話を受けたあと、しばらくして久しぶりに嬉し涙が出てきた。
 それにしても兵庫県警の悪あがきは一体なんなんだろう? 当たり前のことにやっと決着がついたにすぎない。
 関西では判決の第一報に続き、お母さんの記者会見など各社でニュースが流されたようだが、東京では一切なし。
 ちょうど、大きなニュースが重なっている影響もあるかもしれないが。

 そういえば、下北沢のパレードも、TVや新聞、週刊誌など、取材はけっこう来ていたけど、すぐには記事になっていない。これも、ライブドアや耐震偽装などの騒動の余波なのかもしれない。
 それにしても世田谷区も、けっこう突っ張っている。まったく相手にしないつもりなんだろう。ふざけた連中だ。
 再開発は希望しても、街を寸断することになる道路計画には反対、という地元の商店主は結構多いらしい。しかし、区は道路と再開発をセットにしていて、ほかの選択肢を全く認めようとしない。何十年も前の幽霊のような計画なのに。
 巨額の無駄が指摘されながら、結局地元の反対が切り崩され、やはり何十年も前の計画が動き出してしまった八ッ場ダムの二の舞は絶対避けないと。
 運動側も知恵の絞りどきだろう。

[link:24] 2006年01月22日(日) 04:21

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